このところのYouTubeを見ていると、日本の文化や社会的マナー、工業や土木の技術や自衛隊の能力などが世界的にも優れているような事を伝える動画(というよりナレーション付きのスライドショー)が多種多様に存在していますね。
何がキッカケだったかは忘れましたが、たまに私も視聴することがあります。
こうした動画を視聴すると自国のことを誇らしく思えて悪い気はせず、改めて技術的な水準などは今後もクオリティにこだわっていって欲しいと願ったり、文化やマナーなどは自分も恥ずかしくない行動をすべきと自戒の念を抱くこともしばしばです。
また、過去において様々な外国との対立や友好関係の史実を扱う動画も多く、100%鵜呑みにしないまでも、個人的には改めてこうした歴史を知る良い機会になっていますがつい先日、親日的な外国を取り上げて、その背景や理由などを扱う動画を視聴しました。
台湾やトルコ、パラオについては恐らく多くの日本人がその背景を含めて、彼らは親日国であることを認識していると思いますが、他にも意外な国が多く存在することに驚き、中でもベルギーとの関係は恥ずかしながら私は知りませんでした。
※当該動画のワンシーンをキャプチャー 興味がある方はタイトルから逆引きしてください。
様々な歴史は表側と裏側の二面性があるので詳細は各自でお調べいただきたいのですが、実は私の中にも、とある経験を経てベルギーに対する恩を感じていることがあり、もしかするとこんな背景のお陰だったのかもしれないと、26年以上も前のことを思い出しています。
~~~~~~~~~~~~
私は新卒から現在に至るまで、外国為替市場とは何らかのつながりを持ってきたことは、過去このブログでも触れた記憶がありますが、新卒から2000年までの約15年間はいわゆる「外為ブローカー」という職についており、銀行などを中心にした外為取引の仲介業務をしていました。
当時、日本国内にあった銀行は外国の銀行を含めると軽く100行は存在していて、概ね全ての銀行のディーリングルームとは専用のホットラインでつなぎ、為替の売買注文を受けていました。
東京市場が開いている時間帯では皆様も既にご存知の通り、シドニー市場、香港市場、シンガポール市場とも重なっていまして、そのれらの市場とはいわゆる「リンクマン」を介してつながっており、各市場の売買レートを市場間で共有して取引されていました。
(リンクマンとは、市場間をつなぐ意味のリンクと、人を意味するマンが合体して、リンク業務を担う人のこと)
そしてロンドン市場の時間帯になると、ロンドンに拠点を置く銀行らが市場の中心を形成するのですが、彼らもまたフランクフルト市場や逆に東京市場などともリンクマンを介してつなぎ、売買レートを共有していました。
しかし、リンクマンでつながれたその他市場の規模はロンドン市場の規模と比べて圧倒的に小さく、特にメインの取引を終えた東京市場の通常は閑散としていましたから、この時間帯の東京市場の立場は低かったのも事実でした。
そんな中で私は、ドル円の部署からクロス取引の部署に移り、当時はまだ統合前だった欧州各通貨同士の通貨ペアを取り扱うことになったのですが、上述どおり東京市場の立場は弱く、増してや欧州通貨同士の取引など日本にとっては極めてニッチな注文で多くはなく、
特にグローバルな大手銀行は日本国内で生じた注文を、ロンドン支店に取り次ぐのが一般的になりつつある時代でしたから尚更で、もはやロンドンからは迷惑扱いを受けていた状況でした。
当然のように我が部署の成績は振るわず「リンクマン」も自分でこなす状況の中、営業の末に数行の邦銀からサポートを受けることになったものの、ロンドンからは提示する売買レートすら受けられない状況が続き、申し訳ない気持ちと無力感で半ば自暴自棄でした。
「このままではいけない…」
と思った私は、藁(わら)にもすがる思いで、当時ネットワークの関係にあった海外の仲介業者が持つ欧州拠点に直接電話をかけまくり、やっと応じてくれたのがドイツのフランクフルトとベルギーのブラッセルでした。
フランクフルトとは以前から関係があったものの非常にビジネスライクだった一方で、ブラッセルの担当者は電話をしても数コールでピックアップしてくれた上に、私が切るまでオンラインにしてくれるなど非常に親身になって対応してくれたことで、サポートを引き受けてくれた銀行に対しても恩返しでき、通貨統合直前までブラッセルとの関係も続けることが出来ました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
想えば当時のベルギー担当者が日本との友好関係までを知っての上だったかどうかは判りませんが、少なくともベルギーと日本の背景を知った私は今、その理由が繋がったように思えて「はっ!」としてしまい、この少し恥ずかしく懐かしい思い出をどうしてもお話してみたくなりました。
さて、日本に対して友好的な外国との背景については、少なくとも私が受けた義務教育の中には無かったと記憶しています。
さすがに反日国家に関する教育までとは言いませんが、友好関係にある国とその背景については最低限語り継ぐ必要があると思っており、知ったうえで当該国へ行く場合の、あるいはインバウンドで来日した際の「おもてなし」の意味までもが、また少し違ってくるような気がします。
浅野敏郎