3月最初の投稿です。
関東地方にも待望の雨が降り、それなりにまとまった雨量でしたので、各地で猛威を振るう山林火災にも雨が届き鎮圧の一助になることを祈りつつ、先週末の暖かさから一変した環境に戸惑うばかりです。
寒暖差が激しい天候は、季節の節目にありがちではありますが、相場同様に目まぐるしく変わる環境に対してなかなか追いついて行けない自分がいます。
目まぐるしい環境の変化と言えば、ロシア・ウクライナ戦争の行方を占う「米・宇首脳会談」が決裂に終わり、アンフェアに見えるもののアメリカが仲介する和平に向けた期待感は、やや後退した観があります。
※YouTubeのANNnewsCHより3月3日動画ニュースの一場面をキャプチャー
決裂会談というシナリオの、どこまでが出来レースだったかの真相は不明ですが、侵略を受けている国家のトップとして緊張状態が長く続けば、例えどんな人格を持ち合わせていてもナーバスになるのは致し方なく、そのトップ一人を囲んで数人がかりで吊るし上げた模様は、不愉快にさえ感じるまさに「圧迫面接」でした。
いわゆる「悪の枢軸国家」と言われる中でも、ロシアは条約や合意は破るためにあるとしか考えていないような歴史が長い中、ゼレンスキー大統領が求めるどんな対ロシア安全保障も現実的に存在しないことを認めたのか、アメリカは早速、軍事支援を停止する方向に動いて事実上ロシアを援護する格好になっており、結局あの首脳会談は軍事援助を背景としたパワハラ面接だったようです。
欧州は欧州で早速、ウクライナと共にある姿勢を強めており、アメリカが寝返ったおかげで、懸念されていたEUの結束が再び強まることへの期待が高まった一方で、残念ながら早期和平への期待は少し遠ざかった気もします。
忘れていけないのはこれまで、日本は明らかにウクライナ支援と反ロシアで進んできましたから、アメリカの方向転換で、これまでの外交環境が変化したことにどう対処するのか、頭が痛いところでしょうが、武力による現状変更だけは許されない立場を堅持して欲しいところです。
それにしても、アメリカ大統領一人が交代するだけで、ここまで劇的に方針が変わった記憶がここ数十年間で殆ど無く、それはただ以前は興味が無かったからなのかも知れませんが、今回の激変ぶりを見ていると、大統領次第で条約や合意を無効にできるのがアメリカだということが良く理解でき、対日でもあり得るとなると、信頼のし過ぎは危ないという感情が一層強まった気がします。
さてさてまたも前置が長くなりましたが、
国内に目を向けると、かねてから議論があった「高校の無償化」に対して、こちらも会期中の本国会で大きな変化がありました。
進展と言わずに変化と表現した理由として、ここにも少数与党の効果があったと評価したい半面で、本当の少数与党効果として期待した、意義ある討論が果たしてあったのかどうか、疑問に感じる内容とも思えてしまい、今回は野党側の政治臭がプンプンと匂います。
無償化に対しては様々な問題点や課題が既に多方面から挙げられていますが、今回の合意指針でこうした課題の多くが解消できたとは思えず、結局は無理な公約で票を集めた野党が少数与党をいいことに、私学団体的な何かと連携してゴリ押ししたのではないか、と疑ってしまう程の違和感があります。
政治とはそういうもの…なのかも知れませんが、無償化メリットの代表的な論点として、進学の選択肢拡大、経済的理由等に拠らない平等な進学機会などが挙げられるところですが、確かに経済的格差是正という美しい大義名分があるものの、一般的に公立より高いとされる私立学校の学費までをも無償化する政策には、公立から私立へという一方向の流れしか見えず、裏を返せば私立校支援策に見えなくもありません。
細かい課題を言い始めると限が無い問題ではありますが、明らかに公立と私立で質が異なるサービスを受けるにあたり、本来は学費の違いで整合性が取れていたものに、公費を投じて差を少なくすることには逆の差別が生じていないか?ということです。
つまり今回の案では、私立は来年から45万7000円分の無償化、公立は現行の11万8800円が一律に無償化ということですが、所得制限までなくなる以上その差額の34万円弱は、例えば校舎がオシャレ、食堂がきれい、トイレが新しい、制服がかわいいという、教育の機会とは異なる理由だけで私学を選択したかもしれない個人に対して、公立の3倍以上の金銭を公費で無条件補填する訳ですから、進学機会の平等以上に教育サービスの不公平を生もうとしている気がします。
個人的にはならば一層のこと、中学卒業後の3年間は一人当たり年間45万7000円なりを給付し、
「私学の場合はそれ以上は自己負担、公立の場合は教材や制服、通学や修学旅行の費用、場合によっては学習塾受講費までをもカバーでき、もしかすると大学進学や専門学校の学費資金を一部でも貯蓄できるかも知れない。進学しない者には当座の経費に充てても良い…さあどっちだ!」
とした方が、美しく見える大義名分よりもっと根本である進路選択の自由という点で、よほど公平で単純明快ではないでしょうか?
教育事業の詳しい予算感は良く分かりませんが、あるいは既存の公立高校の合格率が1倍になるよう柔軟に変化させるなど、義務業育の延長化(辞退する権利付きで)とするのには、予算が掛かり過ぎるのでしょうか…。
決して私学不要を唱えているのではなく、現に義務教育課程の小中学校でも私立校が実在している訳ですから、高校も存在し得るハズですしまた、近くに公立校が無いなどの個別な特殊要因は個別対応で何が問題なのか、理由を知りたいところです。
言いたい放題を羅列させていただきましたが、もしご気分を害された方がお出ででしたら、予めお詫びを申し上げます。(2025年3月3日記)
浅野敏郎
P.S.
もし高校無償化が少子化対策の一環でもあるなら、結構複雑な幼児教育の無償化の仕組みを簡素化・完全化する方が先だと思います。そうすれば、選択次第では中学卒業まで最小限の出費で時間を稼ぐことができ、その間に経済的な問題も改善されていればベストではないでしょうか。
皆さんはどう思われますか?